コンテンツはただちに摂取しよう

この数年は特にその傾向を強く感じているのだけれど、映画やアニメ、ドラマといったコンテンツを摂取しようとするとき、新たなものに触れるよりも既に鑑賞済みで、それが自分にとって面白いものであることを知っている、咀嚼行為が必要なくなったものを再び再生することが増えた気がする。なぜそうしてしまうかというと、結局のところ、カロリー消費が無いにもかかわらず心地良く楽しめる惰性的な行為だからではないかと思う。

これは、新しいものをインプットできない状態になっているというまずさもある一方で、いま自分がいる世界でリアルタイムに進行している作品に触れないことで、コンテンツから得られる体験を深刻に喪失することに繋がると感じている。

ありきたりな例だけれども、衝撃的な結末を迎えた作品があって、それから数年後にその続きが展開されるものがあれば、作品をリアルタイムに楽しんだ人は、続きはいつなのか、そもそも続きというものは企画されているのか、それは日の目を見るのだろうかという苦しみを数年の間味わうことになる。その苦しみはその人だけが得られる得がたい体験であり、あとから追いかけてきた人は既に続きがあることを知っている、あるいは続きが世に出た状態で触れることになるので、その体験を味わうことができない。すこしロングなスパンの例えをしたけれど、毎週お話が披露されるようなアニメや漫画でも同じ事がいえる。

コンテンツは生ものであり、時間の進みは体験を多かれ少なかれ減衰させてしまうのである。賛否あるところだとは思うけれども、そういった角度から得られる苦しみさえも喜び楽しみ悲しみに匹敵する興奮、感情だと思っている。

というわけで、新しいもの、興味をもったコンテンツはただちに摂取しましょうというお話。