ライ麦畑でつかまえて / 村上春樹訳を読んだ

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押井守から「オマエは教養が足りん」と怒鳴られた(幻聴)のでヘミングウェイの殺し屋が読みたくて本屋に寄ったのだけれど、お目当ての短編集はなくて、しかし手ぶらで帰るのものなと思って、タイトルはとにかく聴いた覚えがあるが内容は一切知らない「ライ麦畑で捕まえて」を手にしたのがこの前の土曜日のことだった。

ある作品を読むのには適齢期があるという考え方に、自分は懐疑的な立場なんだけれど、ちょっとそれがグラつかされてしまう小説だった。とにかく、主人公であるホールデン・コールフィールド少年に対しては共感できるところがなくて、一体全体彼はどうして突然かんしゃくを起こしてすべてを台無しにするんだ、もうちょっと、こう、なんというか、世渡りを上手にだな、と言いたくなるのだけれど、すぐさま3行ぐらいの地の文で不機嫌な心の内を語られるのがありあり浮かんでしまう、考えてみると、彼は16歳で、当時の自分がどうだったかと振り返ってみると、まるきり完全に同じだったというわけではないにしろ、ところどころ彼と重なるところなあったような気がしないでもない、小説というよりも日記と呼ぶのがふさわしい気がするこの作品は、たったの2ページでセックスを4回も連呼する場面もあって、しょうじき辟易するのだけれど、16歳の男の子なんだから(アメリカにおける性事情はまったく知らないが)それくらい阿呆になってしまうこともあるのかもしれないし、自分もそうだった気がしないでもない、

ただ間違いなく良かったといえることは、ライ麦畑を主人公が走って逃げていくお話ではなかったということ、いや、逃避行の物語という点は間違いではないのだけれど。